僕は素手で熊を倒せる
塾の生徒にしている話があります。
俺は素手で熊を倒せる。っていう話です。
早々にネタバラシすると、これは一種の「例え」です笑
僕は因数分解をたすきがけすることなく暗算で解いています。
というのも、初めてたすきがけを習ったときに全然理解できず、そのまま演習問題に入りました。
わからないまま眺め、試行錯誤していると、これってこういうことじゃね?!って感じで因数分解できてしまったのです。
そして、そのやり方で高校受験を乗り切り、大学受験も乗り切りました。
つまり、私は今もたすき掛けのやり方がわかりません。
そう、このエピソードを伝える時に熊を倒す比喩を使っています。
因数分解が、倒すべき敵、つまり熊です。
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学校では熊を倒すために鉄砲の打ち方(たすきがけ)
を習っていました。
たいせいくんは鉄砲のうちかたを全くわかりませんでした。
できないまま、いざ、熊との戦いがやってきました。
周りの友達はうまく熊を倒していきます。
たいせいくんは鉄砲を捨てて、熊に素手で挑むことにしました。
........................あれ、倒せた。
たいせいくんは熊を素手で倒すことに成功しました。
めでたしめでたし
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という話です。
ですが私の言いたいことはこれから始まります。
たいせいくんは結局鉄砲の打ち方を覚えていません。
それでいいのでしょうか。
それを塾の生徒に聞いています。
かえってくる答えは「いいんじゃないですか笑」
という答えが半笑いでかえってきます。
(ここから伝えたいことはじまるよ)
僕もそう思います。
たすき掛けのやり方が大学入試に出るわけじゃないし、
あくまでも手段なのです。
熊を倒すのが目的なのです。
その目的が達成されるのであれば、素手だろうと鉄砲だろうと関係ありません。手段にこだわってしまって、目的を見失うのは良くないのです。
というカッコつけた言い方で、私はたすき掛けをできないことを正当化しました。
できない。
できない。
それはすなわち「教えられない」ということです。
私は代わりに素手で熊を倒す方法を教えました。
みんな素手で熊を殺す方法を習得しました。
鉄砲の打ち方は他の先生に聞くか学校で教わってくれと割り切りました。
幸い、みんな素手で殺す方を満足して使ってくれているようです。
一応、計算スピードも速くなるのでおすすめです。
みんなも素手で熊を殺しましょう。